剛柔流空手道誠志館交野道場


上殿幹雄先生の教訓

師匠 上殿幹雄先生は平成九年八月九日享年六十三歳にてお亡くなりになられました。
生前、上殿幹雄先生は沖縄に渡り、剛柔流に関する研究をなされました。
剛柔流に関する研究資料、残された書物などをここのページで紹介致します。
常に空手道と対峙されてきた師匠上殿幹雄先生が残された剛柔流空手道の思いを、常に我々は稽古に励み理解し、修得していくことが伝統の道であると思っています。
(参考資料は二十周年記念武道祭より)

剛柔流空手道 上殿幹雄先生の教え

 空手道に於ても競技化が進み、スポーツ化され、格闘技として世界に伝播普及されておりますが、空手道にあっては、その原点は「型」にこそあり、自由組手は型の応用の一端であります。ともすれば粗暴に偏し易い傾向があります。段位(とチャンピオンの違い)のもつ意味は茲に存在の価値があります。

剛柔流の型には、

基本型
  • 三戦
閉手型
  • 転掌
鍛錬型
  • 撃砕(一)
  • 撃砕(二)
開手型
  • 砕破
  • 制引鎮
  • 四向鎮
  • 三十六手
  • 十三手
  • 十八手
  • 久留頓破
  • 壱佰零八手
と以上の十二の型があります。

『三 戦』

 剛柔流の「型」の中で「三戦」は基本であると教えられております。尚且つ「三戦」に始まって「三戦」に還る、とも(後程記途させていただきます。)又「立禅」とも呼び称されております。しかし、何故三戦に始まって三戦に還るのかの具体的な「問い」はなされる事が少ないように思われます。  易の思想に、道は「一」を生じ、「一」は「二」を生じ、「ニ」は「三」を生じ「三」は万物を生ずと万物は「陰」を負い、「陽」を抱え「沖気」をもって和をなす。天下の物は「有」より生じ、「有」は「無」より生ず。これは物質の最小の構成単位であり生命を担い精神を活動させるものであります。これがそれぞれの思想に奥行きを与えるとともに豊かにし、同時に神秘性を加えるものになっていったと想像されます。日本の武道の中に現われる三位一体の考えでもあります。  三戦は呼吸し、歩く、何の変てつもない動作の繰り返しであるかのように、視る者の目には映ります。しかし人間の誕生に始まる呼吸、歩みなど自然な動作をふまえ、見逃しがちな動きの基本が、いわゆる「始め」をも表現されています。又最大限に省略された基本的な動作構成で成り立つ「三戦」は、行う者にとってはごまかしのきかない困難さと、不可解さとがあります。その不可解さとは、最小さの表現であるが故に、そこに係わる人間の感性、能力に応じて生ずるものであります。その係わる人の技量、能力、思考の度合により、深くもなりつまらなくように出来ております。これは剛柔の型全てに通ずる特性でありますが、行う人がその真価を決めてしまうのです。それは実に単純であり、且つ奥深いからなのです。最大の表現は、技とか思考に、深みも広まり、奥行きも与えないものです。限り無く応用を生む考えが、「三戦」なのです。  「三戦」は剛柔の心です。心は、言葉にも文字にも表現することは出来ません。「不立文字」そのものに思います。

『四 向 鎮』

 「四」には天地万物が四元素から成るという思想があり、又四方拝にも表れる。中国古代に於ける四神、東の青龍、西の白虎、南の鳳凰、北の玄武といった方角、色彩、季節等森羅万象すべての広大さをも表現しております。型としての特徴は、前記しました神秘的な思想をふまえた、他の型には見られないいわゆる、ゆるやかな気の流れ、三戦のある一面を表現・応用し、次なる問いかけを波濤のようにたたみかけ、「武備志」の「法剛柔呑吐」という剛柔流の考えをも意識できる型であります。「四向鎮」の終末に於ける挙動に運足がありますが、なぜかような足の運びがあるのか、それは次なる動作、その連動、自在なる構え、終りが常に始りであるという心構えを意味します。  中国のある地方に行って夜空を眺めると、星空は手に届くような、天空は“円”そのものだそうです。又果てしない荒野、地平線は“四角”に見えるようです。「四向鎮」の夢は無限に広がります。

『十 八 手』

 「八」は「∞」無限の世界を表象します。無限を表わす言葉に永久の「永」がありますが、この「永」は書法伝授の一方法で「永」の字の中に、基本点画が含まれている。と言われています。人間は、天の力の作用によって支配されているという考えが、古来中国から伝わっております。天の働きが、陰陽二つの働きとなって現れ、さらに陰陽の働きの中から、天地万物のあらゆる現象が八つの方向となって現われる。と伝えられるものです。闘争において敵と対峙する時、一足の間合いを取りますが、いかなる場合においても、八人の敵と向い合うのが最大と言われます。万人の敵が襲い来ようと、それは八人の敵と同じこととされ、八人の敵も剣の届く所“間”は只一人と対峙すると同じとされております。演武戦も八方以上に連関する動きは無いとされ、すべて八方は、円、全周を表現すると共に動作の方向を決定させるものだとも思われます。剛柔の型の方向性にふくむ教えには、以上の意味あいもあると推せられます。十八には他の型には見られぬ独特の構えがあります。剛柔の型にはそれぞれ、その型にしかない特徴を持たされていますが、特に、「十八手」にはそれが著しく思われます。これからの研究課題でもあります。

『三 十 六 手』

 よく知られる中国古典の「水滸伝」に三十六天星の英雄豪傑が登場致します。道教に天帝思想、星信仰があります。月が全天を一周する時に、通過する起動付近の二十八の星座を表わした二十八宿に加え、武道を志す者が、心胆を練るに際し最も陥ちいり易い三十六の心の“病い”を教えたものであります。尚且つ動きの自然さ、無為なる所作を伝えており、三戦の持つ、三位一体を表わす動きの型であり、最後の型、久留頓破への道しるべの型でもあるように考えます。

"妙" 剛柔の拘り

 剛柔の型を考えてみますと、剛柔流の生まれた沖縄。育った本土に、数知れぬ型が存在します。その中で剛柔流には僅かの「十二」の型しか伝承されておりません。これは何故でしょうか。深い意義が感じられます。技というものは、行なう者の体格、力、感性、年齢等が異なれば、全て違いとなって表われます。相手の攻防によっても、つまり何千何百となる技が出来てまいります。それを一つ一つ学ぶのは不可能な事です。 宮城長順先生は、「人間の体の基本・動きに、徹底的にこだわられたように思います。故に剛柔の型には華麗な動きも、大きな技もありません。ただただ基本・腰の締め・ゆるがない中心の保持、脇の締め、速やかなる重心、腰の回転、移動、尚且つ攻撃に対する備えの体制づくり又型は行なう者が何百何千となく技の創り出せる"応用の出来る型のみ"です」  だから数は非常に少なく、限定された理由の「一つ」だと思われます。剛柔の型一つ一つにこだわりをもってみつめてゆきますと、さらにもう1つのことが解って来ます。三戦のもつある一面を解釈して行く上で、それぞれが非常に重要だと気付かされます。そして最後にたどり着く剛柔流最後の型と言われます「壱佰零八手」を行う上で必要な道のりであった・・・と始めてわかります。それがとりもなおさず、三戦を行い解釈するのに絶対必要な事であったとも、認識をあらたに致します。そこで三戦の何たるかが、ぼんやり遠くに見えて来て又、三戦に還り学ぶ事を始めます。剛柔を学ぶ者は、一生その繰り返しに違いありません。三戦に始まり、三戦に還り、また始まります。これが剛柔の道です。

『今、何故、武道なのか』

 武道という言葉の響きの中に、私共日本人は、懐かしさ、頼もしさ、厳しさの中にあるあたたかさを感じます。それは、武道がそれぞれの時代を経て、積み重ねられてきた日本人の心の伝統だからです。 歴史を顧みますと、その時代、時代の中で、真摯に己をみつめて行動した武道人の姿が浮かんできます。その時代に対応しながらも行動出来た人達です。 今、何故、武道なのでしょうか。  武道を通じて己を見つめる事は、とりもなおさず、相手に対する思いやり、尊敬の心、そして責任感、勇気、自分を律する心を育てます。今の日本人が国際性を発揮する時、一番欠けている所だと思います。日本人が真の国際人になり得るに不可欠な、自国の文化を理解するという事にも通じます。そして己をみつめるという事はとりもなおさず、個の確立です。将に現代に必要な事です。  武道は、古くて、いつも新しい日本人の心です。 今こそ「武道」です。

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沖縄県 与儀実栄先生と
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沖縄県 古堅春震先生と
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与儀実栄先生から上殿先生宛へおハガキ
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古堅春震先生の書物

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